「ひとりになりたい」は子どもを預ける理由になっていい

数年前のママ友の言葉が、今も記憶に残っている。

「美容院とか整体とか、そういう明確な予定じゃないと、子どもを預けにくいよね」

それが当然だと思っていた私は、その時初めて「ああ、確かにそうだな」と認識した。


幼い子どもは何かあればすぐ「ママ、ママ」と母親を呼び、一緒にいたがったりする。

我が家は共働きで保育園に預けていたのもあり、休日は出来る限り子どもと一緒にいてあげないと、と思っていた。

もちろん、そうしてあげたい気持ちもあった。

また休みの日は、平日にできない家事をまとめてやったり、子どもの習い事など、やることは沢山あった。


ある休日、夫に子どもを預け、ひとりで食材の買い出しに出かけた。

スーパーに向かう途中、開店したての喫茶店がふと目に留まり、少しだけ寄ってみることにした。

静かな店内。

メニューをゆっくりみて、飲みたいコーヒーを選ぶ。

丁寧に入れられたコーヒーを、これまたゆっくりと味わいながら1時間ほど、ぼーっとしたり、店内にある新聞や雑誌をパラパラ眺め、気になった記事を読んだ。


たったこれだけの出来事。

けれど、ものすごい解放感と充足感だった。

そういえば、こうしてひとり、休日を過ごしたのは何年ぶりだろう。

子どもが産まれてからの私の生活は、こんなささやかな事さえできていなかったことに気がついた。


当時の私の外食といえば、子連れで行きやすいフードコートで、自分が食べたいものではなく、子どもが食べるもの(だいたいうどん)と同じお店にて、自分の分も適当に頼んた。

子どもが食事をこぼさないか常に気を張りながら、隙を見て自分の分をかき込む。

味わっている余裕はなかったし、何を食べたかもよく分からず、とりあえず後で空腹にならないよう、おなかに食べ物をいれていた。

そんな私には、静かな喫茶店でひとり、ゆっくりとコーヒーを飲むことが、とても贅沢な時間に感じられたのだった。


スラトレを行うには、ひとりの時間が必須だ。

トレーニングを続けてきて、その時間の重要性がとてもよく分かる。

ひとり静かに自分と向き合い、自分を満たすことで、ようやく人との時間を大切にできる。


母親だって、ひとりの人間で一個人だ。

その一個人が、母親という役割を担っている。

子どもが幼いと、母親が自分の時間を確保するのは難しいかもしれない。

けれど、だからこそ、信頼して子どもを預けられる人やサービスを頼り、少しの時間でも堂々とひとりの時間を持つ方がいいと、今となっては思う。

それは、母親をサボっている訳でも、家族を拒否している訳でもなく、大切な家族と楽しく過ごすために自分のコンディションを整えるという、自分と家族、両方ににとって必要な時間だと思うのだ。

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