40過ぎて今更わかった、自分のこと

 


これまで、ブログのような記録のような形で、トレーニング過程での自分の心の変化や気づき、感じたこと等を書き留めてきた。

で、最近気づいたのが、私はどうやら”言葉”が好きみたいだ、ということ。


幼い頃、母や親戚のおばさんに「あんたは本が好きやな」と言われたことを思い出す。

当時はそんな意識もなく「なんか知らんけど、ちょいちょいそんなこと言われるなあ」と他人事のように感じていた。

今思うと、これが好き!と自覚せずとも、自然に文字という形で言葉に触れていたのかもしれない。


”言葉”、確かに好きだわ、私。

最近はネットで検索ではなく、あえて紙の辞書で言葉の意味を調べたりすることも楽しんでいる。

辞書に使われている紙は、柔らかくてつるつるしていて触り心地がいいし、ページをめくって言葉を探す非効率さが、逆にゆったりとした時間を過ごしている気分になってなんだか落ち着く。

偶然か否か、私が今読んでいるのも、三浦しをん先生の「船を編む」だ。

映画が好きだったので、原作をふと読んでみたくなり、図書館で借りてきたのだった。


そもそも、”言葉”ってなんだろう。

早速、辞書をひいてみる。

㊀その社会を構成する(同じ民族に属する)人びとが思想・意志・感情などを伝え合ったり諸事物・諸事象を識別したりするための記号として伝統的な慣習に従って用いる音声。また、その音声による表現行為。〔広義では、それを表わす文字や、文字による表現及び人工言語・手話に用いる手振りをも含む〕

㊁〔地の文と違って〕〔小説・戯曲の〕会話(文)。

㊂〔歌劇や語り物で〕節を付けずに説明的に言う部分。    

引用:新明解国語辞典(第七版)


なるほど。ざっくり言うと、自分の想いを表現したり、人とコミュニケーションするためのツールということだ。

ん?私、言葉が好きっていうことは、もしかして、人とコミュニケーションとるの好きだったりする?

人付き合いは気を遣って疲れるから苦手で、単独行動が好きな私が言葉を好きって、なんか矛盾してない?


でも不思議なことに、ストンと自分の中で腑に落ちた。

ああ、私って、本当は人と関わるのが好きだったのか。

確かに、人と会話して楽しかった過去の記憶も当然ある。

それらが蘇り、すんなりと受け入れることができるとともに、「私は人と関わるのがあまり好きではない」という自分に対する思い込みフィルターが外れた感じがした。


それにしても40過ぎて、今更こんなことに気づくなんて、どれだけ自分のことを分かっていなかったんだ、私は。

でもなんだか清々しくて、改めて、自分が発する言葉を丁寧に扱いたい、私に関わってくれる人達との関係を大切にしたい、そう思った。

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