「子どもを叱って自己嫌悪」ループを回避する
子どもの言動にイライラして、感情的に叱る(怒る)。
そしてその後、自己嫌悪に陥る。
「いつも子どもに優しいママでいたいのに」
「カッとなって怒るなんて親として最低だ」
「子どもにきつい言葉を浴びせて傷つけてしまった」
こちらは大人。
子どもの言うことを真に受けて、感情的に返すのは、文字通り大人げない。
けれど、イライラしてしまうのだ。
大人なのに、母親なのに。
”母親は、子どもに対し、常に愛情深く、優しく接しなければいけない”
こういう固定観念が、それが出来ない自分を「私はダメな母親だ」と責めていた。
スラトレノートを駆使し、自分の気持ちを深掘り続ける、つまり内観していくと、悟りを開いたお釈迦様のように、(あくまでイメージだけれど)常に慈悲深く穏やかな心を持つ人間になるのかと、当初は勝手にそう思っていた。
もしかしたら内観し続けることで、その境地にいけることがあるのかもしれないけれど、それはわからない。
今のところ私はそうではなく、スラトレはどちらかというと、自分自身の性格や特徴を、客観的に知っていく作業のように思う。
私って、こういうことでイライラするのね。
私って、こういうときにこういう行動をとるのね。
私って、実はこういうことが不安だったのね。
私って、ほんとはこうしたかったのね。
こうしてトレーニングを続けることで、私は自分の傾向を知ることができるようになってきた。
おかげで事前にイライラを回避できることも。
例えば、疲れているときや体調が悪いときは自分に余裕がないため、イライラしやすい。
普段なら何とも思わないことにも、つい反応してしまったりする。
だから、自分を休めることを優先する。
たまっている家事も後回しでいい。
そうして自分が休まると、子どもに対しても余裕を持って接することができる。
こんな風に行動しているうちに、子どもに対しても愛情深くなってきた。
どちらかというと、子どもがもっと小さかった、赤ちゃんの頃に抱いていた愛情を取り戻した、という方が近いかもしれない。
相手を、自分とは違う感覚を持つ人間という前提のもと、以前よりも配慮することができるようにもなった。
それらの甲斐あって、トータルで私の子どもへの接し方は随分マシになったと思う。
コツコツとよく取り組みました、私。
とはいえ、だ。
やっぱりイライラするときも、依然としてある。
そう簡単には感情をコントロールできない場合だってある。
ただ、強く自覚しているのは、
”感情的に怒りを外に出してしまうと、子どもも傷つくし、自己嫌悪することによって、自分自身も傷つける”
ということ。
それは誰の得にもならない。
だから、私はそういうとき、ひとまず物理的にその場から退避することにしている。
「あ、やばい」
そう思ったら、ご飯の支度の最中でも中断して、とりあえず一人になる。
部屋に鍵をかけて、自分だけの空間を確保する。
余裕がなければトイレでも。
部屋であれば、スラトレもできるので、ノートに感情を吐き出す(人や物に当たらないで済むので、とても周りに優しい)。
一旦距離を置くことで、一時的な感情の高ぶりは収まり、少し冷静さが戻ってくる。
すると改めて、どう伝えるかや対処法など、理性的に考えられたりする。
その結果、”感情的に叱って自己嫌悪”を、回避できたりする。
突然部屋に籠ったりするけれど、怒りを相手にぶつけてお互い傷つくより、よっぽどマシだな、と思っている。
そして今は、いかにスマートに部屋に籠るかに挑戦中。
これできるともっといいんだよなあ。
つい先日は、「今、お母さん疲れてるから余裕なくて。ごめんね」と言って去ることができた。
何でもないことかもしれないけれど、子どもの要求に対して疲れていて無理だと言えたのは、私にとっては大きい。よっしゃ私。
こんな感じで、聖母ではなく生身の人間である私の、母親としての道のりは続く。
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