夫と私は同じ景色を見ても、見えているものは違う
たまたま家族でリビングにいるとき、突如こう思った。
”夫と私では、同じ景色を見ても、見えているものは全然違う”
だからすれ違いが起こるのだと。
「は~~、なるほど」一瞬で腑に落ちて、ちょっと興奮して夫にそれを言った。
夫はというと、妻が突然「あなたと私は見えているものが違う、そういうことやんな!なるほどー、理解理解」と何の脈絡もなくそんなことを言い出すものだから、ぎょっとした様子で、そのまま顔が固まっていた。
20年近く一緒に暮らし、何万回と同じリビングの景色を見ているはずなのに、こんなにもお互い見えているものは違うのか。
驚きと発見だった。
その認識があっているかは分からないけれど、ただ、そう考えると、色々と合点がいく。
リビングでの過ごし方ひとつとってもそうだ。
私は夫に対して、なぜゴミがその辺におかれて散らかっているのに平気でゲームできるんだろう、なぜ畳まれるのを待つ山積みの洗濯物の隣で、延々とゲームできるんだろう(たまたまゲームのことばかりだけれど笑)と思っていた。
そういう日々の小さな”モヤッ”の答えが出た感じだ。
私には「家はいつもきれいでなければいけない」とか「家事を済ませてから、好きなことに時間を使うべきだ」とか、そういう固定観念があり、だからリビングのゴミや、片付いていない家事が見えている。
夫にはその固定観念は多分なく、気に留めていないから見えていない。
もしくは、見えていても、道端の石ころの様に、ゴミや洗濯物がただそこにあるだけで、それに何の感情も湧かない。
以前の夫の言葉にもあった。
私にとっては衝撃だったので、よく覚えている。
あるとき私は、家中のゴミをまとめて、玄関に置いておいた。
夫が仕事に行くときに、ついでに捨ててくれるだろうと思ったからだ。
夫は、ゴミを持たずに出ていった。
何回か試してみたけれど、夫はいつもゴミを持たずに出ていった。
なんで持って行ってくれないんだろう。
家のこと、ろくにやってないし、ゴミ捨てくらい行ってくれたらいいのに。
夫のやる家事のド定番といえば、ゴミ捨てだろうに。
私は家事に育児に、こんなにバタバタしてるのに、なんて気が利かないんだ。
もしかして、家事は私がやるべきだと思って頑なにやらないのか?
こんな風にぐるぐると思い、文句の一つでも言おうと、なぜゴミを持って行かないのか聞いてみたところ、夫はこう言った。
「えっ、ごめん、見えてなかったわ」
?!
あんな大きなゴミ袋が見えてない??
玄関を占領し、靴を履くにも邪魔になる、あの大きな袋が???
嘘やろ?
私の文句をかわすためにそんなこと言ってる?
今となっては、夫は本当のことを言っていたのだろうと思う。
たとえゴミ袋をどかして、靴を履いていたとしても、見えていなかったのが彼の事実だ。
私には「ゴミ捨ては、出掛けるついでにするのが普通」だから、玄関のゴミは見えるけれど、夫にその固定観念はなく、見えていなかっただけのことだ。
もちろん逆もあり、夫には見えているけれど、私には見えてないものも当然あるはず。見えてないから気づかないけど。
つい先日あったのが、よく行くスーパーに売っているステーキがおいしそうだと夫に言われたとき。
私はステーキに興味がないので、どの辺にステーキが置いてあるかも分からなかった。
お肉売り場は行くし、当然ステーキの前も通っているはずなのに。
そんなもんなのだ。
自分と他人では、見えているものは違う。
だから、「言わなくても分かる」や「察してほしい」はないし、それを求めるのは、相手に超能力者になれと無理難題を言っているようなものだ。
自分の思っていることは、相手に依存せず、自分が伝える努力をする。
この姿勢が、人間関係には大切なんだと改めて思う。
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